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岩手県宮古市の思い出 [日記・雑感]

2011年3月11日(金)午後の東日本大震災から3週間が経過した。未だに行方不明の方々が一万人以上いらっしゃる。亡くなれた方々も一万人以上いらっしゃるのだ。原発の事故も、収束には遠く及ばない。津波により港や街はがれきの山と化している。東京に暮らす私にとって、今回の大震災は他人事ではない。未曾有の甚大な被害は、私たちの心や気持ちにも深い爪痕を残している。せめて、節電や義援金を通して、少しでも自分にできることがあればと思っている。

今から33年前、1978年の夏、私は高校二年生だった。所属している写真部の合宿のため、上野から夜行列車に乗った。夏休み中に岩手県宮古市に一週間民宿に泊まり込んで、宮古湾を中心に「風土と生活」をテーマに漁港や街並を撮影した。とても活気のある、風光明媚な漁村だった。

宮古湾に臨む魚市場内の一角にカウンターだけの4、5人が座れる屋台のような寿司屋さんがあった。吉田と石井と私の三人で、高校二年生の分際で寿司を食べることにした。今でも目に焼き付いているのは、アワビだ。板前さんが活きのいいアワビをおもちゃのメンコのようにまな板に数回叩き付けてから包丁で切りはじめた。切っているときも、アワビはうごめいていた。食べてみると、コリコリしていた。生まれて初めて食べるアワビ、高級感はあったけれどそのときはさほど美味しいとは思わなかった。それに比べてイカは白色というより透明に近く、その甘さに驚いた。あんなに美味しいイカのにぎりを食べたことはなかった。

浄土が浜近くの海で、遊覧船に乗ったときだった。真っ青な穏やかな海に、白いウミネコが船の回りを飛び回っている。展望デッキで「ウミネコパン」を販売していた。ウミネコ用のえさだ。全員一個づつ買って、ウミネコにあげた。人を恐れず、小さくちぎって腕をまっすぐ空に伸ばすと、すぐそばまで飛んでくる。小さくちぎったパンを指に挟んでいるだけでは、ウミネコはパンをくわえない。近づいたところで軽く空へ投げると、上手にパクつく。みんな夢中でそのパンをあげていると、後ろの方で浅香が「このウミネコパン、ウメエ!」と叫んだ。あんぱんのように丸いが一回り大きく、中央に海藻がほんのちょっと練り込んで焼いてあった。とてもフワフワな柔らかさだ。浅香は美味そうに頬張っている。どれどれとみんな一口食べた。本当にウマイ!みんな目を丸くして微笑み合った。浅香と新井はもう一個買った。もちろん自分で食うためだ。私は笑い転げながら、残りのパンをウミネコにあげた。

蛍が民宿に飛んで来た。淡い光を放っている。初めて見る蛍。電気を消してみた。一定の間隔で点滅している。みんな息をこらえて、蛍をみていた。

その他、龍泉洞へみんなで行った。その鍾乳洞の奥には、コバルトブルーの透明度の素晴らしい地底湖があった。

復興するまでどれだけの時間がかかるかわからないが、私は33年前にお世話になった岩手県宮古市へ先ず行きたい。青春時代のひと時を過ごすことが出来た宮古で、なにかお礼をしたい。恩返しをしたい。

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